立ち上げにあたって
日本のカミキリムシ相は,過去半世紀以上にわたり多くの研究者や愛好家によって調査・研究が行われた結果,少なくとも種レベルでの分類という意味では,ほぼ解明されたと言って差し支えないでしょう.また,今後も継続的な調査が必要とは言え,各種の生態や分布に関する情報も他の甲虫類に比べれば大変豊富に集積されています.
しかしその一方で,亜科や族,属などの高次分類については未解決の問題が数多く残されています.また,系統・進化・生物地理学的研究に至っては,国内でもDNAの塩基配列に基づく系統解析が一部のグループで行われてはいるものの,まだ端緒が開かれたばかりと言わざるを得ないのが現状です.
今後我が国におけるカミキリムシ類の研究をさらに発展させるためには,形態・生態情報に基づいたより詳細な研究に加え,それらを補完するための強力な武器である分子情報をより積極的に取り入れて行く必要があります.
しかし,分子情報ベースの研究を活発化させるためには,分類学的研究用の乾燥標本に比べ,DNA分析用の新鮮な材料の収集が困難であることが大きな障壁となります.したがって,カミキリムシ類に関する将来的な研究の基盤として,今DNA分析用標本コレクションを構築しておくことは非常に有意義と言えます.
さらに近年,生物多様性解明への新しいアプローチとして分子情報を活用する「DNAバーコーディング」への関心が非常に高まりつつあります。これは特定領域の短い塩基配列(DNAバーコード)を種の同定に用いるテクニックで,動物ではミトコンドリアCOI遺伝子の5’末端側648塩基対が標準的なバーコード領域とされています.
DNAバーコードは,短いながらも系統情報を含みますので,本格的な分子系統解析を行うにはデータ不足であるものの,これに基づいて予備的な解析を行うことは十分に可能です.
現在,この手法を国際標準とすべく,世界各地でDNAバーコーディング関連プロジェクトが進められています.我が国でも新しい組織である日本バーコードオブライフ・イニシアティブ(Japanese Barcode of Life Initiative; JBOLI)が中心となって,DNAバーコードの収集とそれに基づくオンライン同定支援システムの構築等の活動を展開して行こうとしています.
今後DNAバーコーディング関連の活動を普及させて行く上で,一般に人気が高いだけでなく,多くの害虫種を含み,種レベルでの分類も概ね終わっている日本産カミキリムシ類は格好のモデルケースとなるため,現在JBOLIは,このグループのDNAバーコード化に大きな興味を示しております.
以上のような状況に鑑み,我々は,今後数年がかりで,JBOLIと連携しつつ「日本産カミキリムシ類のDNAバーコードインベントリー作成を主目的とするエタノール液浸標本コレクションの構築」に取り組むこととなりました.
具体的には,1)日本産を中心にカミキリムシ類の99%エタノール液浸標本を種レベルで網羅的に収集した上で,2)DNA分析用標本コレクションとして一元的に保管し,そのデータベースを一般に公開いたします.そして, 3)各標本のDNAバーコード塩基配列を決定し,それをDDBJのデータベースに登録します.
登録された塩基配列情報は,液浸標本コレクションのデータベースとJBOLIのオンライン同定支援システムを介して誰もが利用可能であるため,将来的に日本のカミキリ研究者が受ける恩恵は計り知れません.
例えば, DNA分析用標本コレクションがまとまった形で存在すれば,あるグループの分子系統解析を行う際に,これまでのように一からサンプル収集を行う必要がなくなります.
また本格的な研究を始める前に,既存のDNAバーコードに基づき,対象グループについて予備的な系統解析を行うことにより,予め合理的な研究計画を立てられるようになること,などがその大きなメリットとして挙げられます.また,形態データに基づいて分類学的問題に取り組む際にも,自分の得た結論を既存のDNAバーコードを利用して別の角度から簡単にチェックすることも可能になります.
この構想の第一段階として,まずはこの2年間を目途に日本産カミキリムシの,出来るだけ全種に近い液浸標本コレクションの構築を目指します.本構想の趣旨をご理解の上,積極的なご協力をいただければ幸いです.
2007年6月1日
愛媛大学農学部
教授 大林延夫